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たべ・けんぞう
Shine beyond The Ruin
・・・・ Anti-Nuclear Art ・・・・
廃 墟 の 彼 方 の 輝 き
ある美しい朝、それはやってきた
On a beautiful morning broke out ARMAGEDON
『オレンジ・オペレーション』 たべ・けんぞう
ダイニングの片隅に置かれたラジオからどこかで聞いたことのあるメロディーが流れてくる。読みかけの新聞をテーブルに置き、私はコーヒーカップに手を伸ばした。あれはたしか昔見た映画のオープニング・テーマ、何だかわくわくするようなことが今にも始まりそうな、
・・・・好きな旋律だな。
ふいに音楽が雑音に掻き消され、臨時ニュースが始まった。一瞬の眩い光と、みるみるひろがる渦巻き雲。ありとあらゆるものがあの一色に染まり、時計の針がピタリと止まる。食卓から立ち上がった妻は壁の向こうへと溶けて消えかかり、手をつないだ幼い息子は、「どうして?」とか、「どこへ?」とか、もう尋ねようともしなかった。やがて静まりかえった部屋の中で、息子の小さな手に握られた鳥かごのカナリアだけが、いつまでもさえずり続けていた。
ORANGE OPERATION
Audio Player
作品 『オレンジ・オペレーション』 の
バックに流れる音楽を聴くことができます
広島の三原に住んでいたころ、私はまだほんの幼児だった。父は出勤途中の電車の中から山の向こうが光るのを見たと言っていた。それが原爆だと分ったのは後のことである。記録によれば、その閃光の直後にたちのぼった煙の渦は、まずオレンジ、そしてブルー、ヴァイオレット、グレーと、刻々と色を変えたという。4000℃にも達する地表に走り抜ける凄まじい衝撃波と熱風が、すべての生きとし生けるものの息の根を止めた。
原爆が投下された後、私は家族と共に九州の知り合いの家に身を寄せ、その一年後、再び広島駅前に戻ってきた。
当時はまだ至る所が焼け野原のままで、放射能のことなど知らない子どもたちにとって、半壊して放置されたビルや建物の中は格好の遊び場になっていた。原爆で親を失った孤児や近所の同じバラックに住む友達と、活版印刷所跡に埋もれた溶けた活字を拾い集めたりして、よく遊んだものだ。
『オレンジ・オペレーション』と題するこの作品の制作に当たっては、核の恐ろしさを伝えるためには、私的なイメージを超えて、何としても強力なインスピレーションを持った作品を作らねばならないという思いで、友人や知人を巻き込み、アイデアを出し合い、数多くの人々の協力を得て制作を進めた。そうして完成したのは、歯科の型取りにも用いられるアルギン酸という物質を使って、私と家族の体から直接型取りして造った等身大のフィギュアをはじめ、家具や食器などの日用品、子どもの玩具から普段着に至るまで一部屋まるごとそっくり、つまり私の最も私的な空間だった。毛穴や指紋まで克明に写し取られた自分自身といっしょに、細部まで見慣れたこの部屋に実際に身を置いてみると、当然ながらとても奇妙な気分になる。オレンジ色に凍りついて動かぬ、あまりにリアルな妻や子どもたち。核や放射能の脅威を人々に伝えたいという一心で作り出した空間で、想像力の崖っぷちを味わったのは私自身でもあった。しかしそれは制作に没頭する束の間、作品の中の役に嵌まりきるような絵空事ではなかった。『オレンジ・オペレーション』が完成して間もなく、このコンセプトをもとに、妻が絵本を制作している真最中に、史上最悪と言われたチェルノブイリ原発事故が起こる。さらに25年経ち、日本のフクシマが再び世界中を震撼させて、ヒロシマに次ぐ第二のカタカナ表記の名として知れ渡る。
ありふれた日常、そこにいつもギリギリの隣り合わせにある、もうひとつの別の朝。それは音もなく、姿もなく、ひそやかにやってくる。この繰り返される悪夢から、人類は目覚めることができるのか。
地球上に核や原発が存在するかぎり、このメッセージはつづくことになる。
『オレンジ・オペレーション』 をもとに制作された反核絵本の名作
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